結局、僕は
結局、僕は何をしようとも、どこへ行こうともあらゆることが不安で怖いだけの子供なのだ。
そんな僕が小説を書くことによってある種の真実を言語化するから面倒臭い。
ただそれだけの話なのだが。
しかし言論の自由も、小説家という職業も、一応、社会に認められている。
という御託は無視して、現実的には講談社から連絡が来ないことが問題で、そこから先の問題は出版社で話し合えば済むものだと思っていた。
いや、こういうことはもう何度も意思表示してあって、結局、来ないということがその答えなのだ。
と思うと、もう絶望しかない。
もう絶望しかないとは、何度も思ってきたから慣れているが、ここに至っては微かな希望さえない。
たったひとつだけ、これまでとは違った試みを行ったが、さて、明日、連絡は来るのか。
明日はもう三月である。
人生なんてどうってことないと混ぜ返すこともできる。
それくらいの文学的思想的体力は付いている。
ただ、実存的な支えが無くなるということもまた事実なのだ。
これからどうしよう。
そればかりだ。
どこかで働いて自活すればいい。
ただそれだけの話なのだけどね。
資本主義社会のいいところは各々が得意なことを仕事にできることだと聞いたが、どうやらそれも嘘みたいだ。
世の中嘘ばかりだ。
つまらんな。