映画やアニメというのは正直おもしろくない。
良いものを作ったと思っても全然話は進まないし。
何よりうるさい。
映画やアニメに関わろうとすることが、こんなにつまらないものだとは思わなかった。
本当に何一つおもしろくない。
適当にそれなりのものを作って、WINWINで済む。あーよかったね。
単純にそれだけの話だと思っていたが、なんか馬鹿みたいに話が進まない。
キャストに良さそうだと思った人はすでに年齢がずれてきている。
イメージに合わなくなってきている。
おもしろくもなんともない。
ヒットをコントロールしようとする馬鹿みたいな意図が何もかもを邪魔している。
純粋に、無数のチャレンジの中から沸き上がってくるクリエイティブなものが、無意味化される仕組み、体制、構造なのではないか。
全部つまらないというところに行き着くのだが。
おもしろみがない。
色々考え、揃えたうえでの、最低限の、公に問うギャンブル性が確保されていない。
つまらない。
それでもって、今の世の中が大体似たようなものだと思う。
だからどこもかしこも衰退している。
で、まとめサイトが世論操作かなんかで弱者男性と連呼している。
救いようのない馬鹿の世界だ。
でも仕方がないと思います。それが限界なのでしょう。別にしょうがないよ。
おもしろくないがしょうがない。
おもしろいってことがグルグル回っていかないんだ。
だから衰退しているのだけど、それも仕方がないと思います。
ただ宮崎駿氏は時代の天才だとおもうよ。
おもしろいってことがすなわち彼だった。
おもしろいってことを担ってた。
おもしろいってことはこうなんだってことを世の中に提出して、ついには宮崎駿氏がおもしろいってことになった。
つまりこういうことなんだよね。
おもしろいってことを公に問うギャンブルをして、大衆だけでなく、教養ある人もどうにか認めさせて、そうして時代のおもしろいってことになるのだ。
村上春樹氏もまたそんな感じだ。
芥川賞は取れなかった。
けどその後で、やっぱりおもしろいってことを公に問うギャンブルを続けて、他の文学賞を取り、大衆にもウケた。
英文学風の文体で、ファンタジーっぽいような、探偵小説っぽいような風味の小説を書いた。
おもしろいってことはこうなんだってことを示した。
で、やっぱりおもしろいってことは村上春樹氏の小説なんだってことになる。
まあ、そういうことなんだよね。
おもしろいってことが、新しくなっていく、あるいはグルグル回っていくってことはさ。
舞城王太郎氏なんか惜しかった。あと、もう踏ん張りすれば、サブカル的な臭いから脱しきれた。
まだわからないけど。
彼にアニメや映画の原作を続けて作らせてみたらどうなるか……。
そういうギャンブルがおもしろいってことを回転させることになる。
ヤマカン氏だって今では何やってるかわからないけど、スタート地点はこのおもしろいってことを回転させる位置についていた。
京都大学出身が何をやるか、どんなおもしろいってことを提示して、それを世の中が時代的なおもしろいってことにしていくのか、いかないのか。
ヤマカン氏も最初の頃は確かにそんな使命を背負っていた。
何かあるんじゃね?って人にギャンブルをさせることだ。
そうでないと、時代が回らないのだ。
創作の界隈だけじゃない。多分世の中大体そうだ。
まあ、知ったこっちゃないのだけどね。