アニゲー速報におけるほのめかしのせいでNHKはもう終わったらしい。

アニゲー速報速報におけるほのめかしのせいでNHKはもう終わったらしい。

前から危ないとは思っていたけど、ついにNHKは駄目になったらしい。

水木しげるの特別番組の件もあったし、オダギリジョーの犬のドラマの件もあったし、NHKはもう駄目らしい。

ここにきて何をしているのかと。

この段階にきて何をしているのかと。

新しく送った思想小説を取りに来るのかと思ったが、そうでもないらしい。

 

集英社付きの電通が暴走したという見方もできるが、過去の積み重ねから考えるとNHKも切りたがっていた雰囲気もある。

 

NHKNHKで公共放送という既得権益だから、ある種のJAL日本航空的な意識があるのだろう。

何がどうなっても国がNHKを守るという。

実際、裁判でも契約の自由が否定されるという結果が出ている。

当たり前の自由、基本的人権も飛び越えて、NHKは国家によって守られているのである。

それこそがNHKのある種の反ハングリー精神的なものの原因だろうと思われる。

 

多様性の時代になって、紅白が無くなるかもしれないと言われると、さすがに社内がざわついたようであるが、それも案外すんなりと受け入れてしまいそうな予感もする。

 

集英社についてはもう近づきたくない。

きめつのやいば?とやらではでは、作品内で御神体(岩)を意味もなく切っている。

作品は必ず編集者のチェックが入るはずで、これは漫画家だけの責任ではない。

おそらく相当な高学歴の、競争率の高い就活を乗り越えた優秀な人材だけが、人気の職種である集英社の編集者になれるはずだが、

その非常に優秀な人材のはずの編集者が、きめつのやいばの作品内で御神体を意味もなく切るというシーンに疑問を抱かず見逃している、

というか、許可している。

普通は「このシーン何なの? 意味もなく宗教的な物を傷つけるのって倫理的にどうなの? あるいは何も考えていないと受け取られるのでは?」と疑問を抱くはずであるが、

きめつのやいば内では、修行の一環としてはっきりと御神体を切っている。

ここからわかるのは、集英社の創作に対する姿勢だ。

作品を作品として見ていない。

創作物を創作物として見ていない。

単にコンテンツとして見ている。

売れればそれでいいとしか考えていない。

そうした姿勢から意味もなく御神体を切るシーンが生み出されたと思えば納得できる。

 

別の意味であったら、それはそれでまた面倒臭い。

ある種の反日的な思想から、御神体を切らせたのだとしたら、それもそれで歪んだ考え方である。

信仰と政治や国家は完全には一致しないどころか、政教分離の大原則がまずある。

どっちにしろ、考えが及んでいないという他ない。

 

そしてそのような姿勢の集英社はある種の化け物じみて見える。

作品をコンテンツとしか考えずに、次から次へ、一口かじっては吐き出し、一口かじっては吐き出し、その中の一つか二つたまたま当たればいい。

そうして生み出されるのは大量の創作の残骸ではないか。

けれども作者は無論、創作の残骸を作るために、創作物を作っているのではない。

 

その姿はある種呪われているとさえ思う。

それはどこか、大量生産、大量消費社会となってしまった今の資本主義的な呪いに似ているように見える。

 

電通NGで。