創造的十年説

宮崎駿氏の創造的十年説などという話は信じてはいけない。

あんなものはかっこつけの嘘である。

葛飾北斎は若い頃から絵を描き始めて、七十を過ぎて神奈川沖浪裏を描いた。

世界に知られるグレートウェーブである。

そもそも創造的十年説とやらは、当の宮崎駿氏本人がその作品によって否定しているではないか。

ととろがピーク?

じゃあ、その後の名作の数々は何なのだ? という話になるではないか。

大体、作家なんてものは、自分も作家だからわかるが、溺れるものは藁をつかむ精神で、パッとひらめけば儲けもの、ひらめかないなら野垂れ死には芸人のサガだと、そうして何かないか、何かないかと、食い物を探し回る狼だか、猪みたいなものであるのは、これはもうわかりきったことなのである。

そうして苦し紛れでも脳味噌を回転させて、そうだ、この方向だ、ここであれを入れよう、これを入れよう、違う、違うそっちじゃない、と、なんとか形にして、これでどうにか世の中に出せるものになろうというのが、作家の偽らざる姿であるから、私は創造的十年説なんて信じない。

ただ今が創造的でありさえすれば、それが作家なのである。

 

という、かっこつけた話はさておき、どうしようもない時はどうしようもない。

しかし、どうしようもない時にどうしようもないのも、また自然である。

作家は神ではないのだから。