純文学作家になれないのなら意味ないね。

純文学作家になれないのなら意味ないね。

まったく何もかも意味がない。

坂口安吾は「新戯作派」だ。

文学史の教科書にもそう書いてある。

エンタメ作家じゃない。

戯作だけど、戯作じゃないのだ。

おそらくだが、今風に言うと、アニメの中に文学が入ってるようなものだ。

それはもう抜群にやって成功させている人達がいるから、あまり変なことも言ってないと思う。(主にジブリとか)

けど、この際、もうアニメや映画の話はどうでもよくなってる。

僕は小説家でしかないからだ。

絵が描けない時点でアニメと競い合う資格もない。

あくまでも小説家だ。

坂口安吾は歴史物や不連続殺人事件みたいな推理小説も書いてるけど、

あれは読んだ人ならわかるが、ちゃんと人間の切なさに繋がってる。

だからやっぱり新戯作派の小説なのだ。

そこのところをわかってもらわねば困る。

 

 

無頼派の範疇を創り出した「新戯作派」という言葉は、坂口安吾による、戯作に対する数々の発言に端を発する。エッセイ『戯作者文学論』(1947年1月)、織田作之助への追悼文『大阪の反逆 – 織田作之助の死 – 』(『改造昭和22年4月号)などで、坂口は文学における戯作性の重要性を強調した。漢文学や和歌などの正統とされる文学に反し、俗世間におもねった、洒落や滑稽と趣向を基調とした江戸期の“戯作”の精神を復活させようという論旨である。そこで、林房雄江戸期の戯作文学にちなんで「新戯作派」と命名したとされる。この「戯作復古」の思想は、坂口の論文『FARCEに就て』(1932年3月)、太宰治の『お伽草紙』(1945年10月)などのパロディ作品、『如是我聞』(太宰、『新潮昭和23年3月号から7月号)での志賀直哉への猛烈な批判、または『晩年』(1936年6月刊行)から『グッド・バイ』(1948年6月絶筆)までの太宰の諸作に見られる道化精神、織田作之助の『可能性の文学』(『改造』昭和21年12月号)などに顕著である。そこには、旧来の私小説的リアリズム、および既成文学全般への批判が見られる。「無頼派」という言葉は、これら「戯作復古主義」から「旧体制の文学への反発」を経て、結実し、一世を風靡した坂口の『堕落論』(1946年4月)や『デカダン文学論』(1946年10月)のタイトルイメージに影響されるところが大きい。