2005年愛知万博は最終的に黒字だったらしい。

  • 名称:2005年日本国際博覧会(The 2005 World Exposition, Aichi, Japan 略称:Expo 2005 Aichi, Japan 愛知万博
  • 愛称:愛・地球博 (Exposition of Global Harmony)
  • テーマ:「自然の叡智」(Nature's Wisdom)
  • 開催期間:2005年3月25日〜9月25日(6ヶ月、185日間)
  • 性格:国際博覧会条約に基づく登録博覧会
  • 主催:財団法人 2005年日本国際博覧会協会
  • 面積:約173ha長久手会場:約158ha、瀬戸会場:約15ha)
  • 事業費:2,085億円(内、会場建設費1,453億円、運営費632億円)[注釈 4]
  • 入場料:大人4,600円 中人2,500円 小人1,500円 全期間入場券17,500円(消費税5%込)
  • 入場者数:2,204万9,544人(目標:1,500万人)
  • シンボルマーク:10個の緑色の点線による円(大貫卓也作)

開催候補地とテーマの変遷編集

1988年から構想され、1994年に愛知県から示された最初の基本構想のテーマは「技術・文化・交流―新しい地球創造―」であり、会場は、大阪万博の約2倍の約650ヘクタール、予想入場者数は、4,000万人、跡地構想は「あいち学術研究開発ゾーン」と「新住宅市街地開発事業」となっていた[1][2]。その後、環境への配慮から、会場候補地である海上(かいしょ)地区の自然環境破壊に対して批判がなされ、1996年に「新しい地球創造―自然の叡智(Beyond Development:Rediscovering Nature's Wisdom)」として、会場面積は540ヘクタールに縮小し、予想入場者数も2500万人に減少させ、BIE(国際博覧会事務局)に立候補申請し、1997年BIE総会で投票により開催地に決まった。その後、1999年、当初メイン会場として計画されていた海上地区(瀬戸会場)にオオタカの営巣が発見された。2000年2月、BIEは「自然の叡智」というテーマを掲げながらも「新しい地球創造」として、会場の跡地利用として宅地造成の新住宅市街地開発事業や道路建設をセットで実施することについて「万博を隠れ蓑にした土地開発事業」と会場計画を批判し、全面見直しを強く求めた[3]。その後、生態系を尊重する市民団体などの要望を受け入れ、2000年5月にメイン会場を愛知青少年公園(長久手会場)に変更し、万博のテーマを「自然の叡智(Nature's Wisdom)」と変更し、より環境問題と市民参加を前面に打ち出す事となった。変更後の会場である愛知青少年公園に残っていた自然を活かし、その自然自体(自然体感)も展示の目玉となった。

一方で外国パビリオンについては、これまでの万博のような各国が個性的な建築物でアピールすることとは異なり、万博協会が規格建築物(モジュール)をグランドや遊具だった所など樹木の少ない区画に建設し、参加国はモジュールの外装や内装のみで個性を発揮するという形をとった。その結果、コンパクトで省資源な環境配慮型の会場構成が実現できた[4]。加えて、開催前の会場構成・パビリオン企画の段階から市民が積極的に参加・ボランティアセンターを設立した会場運営・周辺地域でのサポートを行う等、開催前から開催中・閉幕後にかけて市民やNGONPOなどが積極的に参加した[5][6]

評価編集

現行の国際博覧会条約への改正後初で、かつ21世紀最初の博覧会である。20世紀までの「開発型」「国威発揚型」(国家の開発力、国威のPR)が中心だった国際博覧会から、21世紀の新しい博覧会の形である「人類共通の課題の解決策を提示する理念提唱型」の万博に変容を遂げた博覧会として、国際博覧会事務局(BIE)および日本政府は位置づけている[7][8]

万博の出展国の評価を行う「褒賞制度」が、1958年のブリュッセル万博以来、ほぼ半世紀ぶりに復活した。万博の質の向上を目指す博覧会国際事務局 (BIE) の求めに応じて博覧会協会が制定した。愛知万博に出展している外国館のデザインや展示内容を審査し、金、銀、銅の各賞を贈るもので、賞の名称は「自然の叡智賞」。

諸経費編集

計画では総事業費は1,900億円(内訳、会場建設費は1,350億円、運営費は550億円)と見積もられたが、実績としては総事業費は2,085億円(内訳、会場建設費は1,453億円、運営費は632億円)となった[9]。なお、会場建設費については、「国庫補助金・関係地方公共団体補助金・民間等資金」が1:1:1の割合で負担し、運営費については、適正な入場料収入や営業権利金収入等ですべてを賄うことが合意された[9]

結果、目標を大きく上回る入場者数とキャラクターグッズの売り上げにより、最終的に129億円の黒字を計上している[10]

2006年9月16日〜25日には、「閉幕1周年記念事業」として、各種シンポジウムやイベントが開催された。以後、毎年開幕閉幕の周年行事が行われている。