電通、その他右翼勢力のほのめかしもやけくそ気味になってきている。
まるでダダをこねる幼い子供のようでちょっと引くレベルである。
ほのめかしという大犯罪を起こしながら
その被害者と仕事をしようという
本当に人間の心を持っているのかという意味不明なメンタリティが
第一にサイコじみてて気持ちが悪い。
それが第一にある。
ほのめかしの別の事件では殺人事件も起こっていて人が死んでいる。
そういう悪辣非道な悪魔じみた犯罪を起こしておきながら、同じようにその犯罪の被害を受けた筆者と仕事がしたいらしい。
何度も嫌がらせまでするほど、脅迫までするほど仕事がしたいらしい。
まともな心の持ち主とは到底思えない。
それを前提とした上で、現実論から考えても、電通、その他右翼勢力の行動は意味不明である。
電通はオリンピックの談合事件でもわかる通りに、
こんな筆者のような、一人のクリエイター、作家に執着せずとも、
税金から支払われる公的な事業で、たんまりと大金を稼いでいるのである。
それは、もはやこの日本という村社会の構造的な仕組みといってもおかしくはないもので、
電通に、そこらの右翼勢力は、税金仕事で金に困ることなど万に一つもない。
なぜってそういう構造になっているし、有力者、権力者のコネ入社なんかも大いにやっているだろうから、会社が潰れることもそうそう無かろう。
これを改善するには定期的な政権交代が必要だが、
この日本という村社会はアメリカの力もあって、自民党の独裁体制が長く続き、
有権者も政治に興味をなくしているから、絶望的に社会は変わらない。
最近では世論操作もひどい。
つまり一作家に拘らなくとも、電通は儲けに困らないのである。
それともまだ電通の鬼十則とやらを、会社の外の人間にも押し付けて迷惑をかけているのか?
ちなみに殺人事件とは、まつりさんのことではない。
あれも殺人といえば殺人だが。
というのが、現実的な有り様であるというのにも関わらず、いつまでもほのめかし、嫌がらせを続ける電通、その他勢力は何を考えているのか?
しかも講談社でいいよと、筆者は言っている。
これは明らかに譲歩と見るべきであろう。
文藝春秋には、現代版歴史探偵要素があるが、講談社の方はむしろ右翼勢力が喜びそうな内容である。
この事実を理解していないのか?
集英社に、秋田書店に、ネットフリックスの都合などは一作家には知ったことではない。
集英社は、程度のひどいほのめかしに手を貸している時点で擁護不能であるし、前科がどうもひどい。
裏方の手腕も疑問符がつく。
例の「きめつのやいば」の御神体真っ二つの場面である。
何も考えずに創作をしているのかと、例の大御所アニメ作家のドキュメンタリー番組の画像を思い出してもらいたい。
もしや、例のカルト宗教がらみかと疑いたくもなる。
秋田書店は、特にマイナス要素もないが、純文学をやっていない。
基本的に筆者は純文学の作家であるから、純文学の事業をやっている出版社と仕事がしたい。
という不自然、かつ道理に合わない態度から見ると、単なる妨害工作と考えても筋が通ってしまう。
無論、筆者は一人の作家に過ぎないが、これはほのめかしを受けている間も散々に言ってきたことである。
結果的に、それが理解されてほのめかしがやむことはなかったので、筆者がただの一人の作家であることを理由に、このような嫌がらせ、妨害工作が考え違いとも思えないのである。
正直な気持ちを簡単な言葉で言うと、「こいつら何やってんだろう? 何もわかってないのかな?」となるが、
それは2014年頃から始まった、ほのめかしという犯罪被害に遭っている時から似たような気持ちであった。
以上をまとめるとこうなる。
金にも困ってないし、他にいくらでも仕事があるのに、なぜ一人の作家に執着するのか?
しかもその相手は何年も嫌がらせをしてきた相手で
まず、まともな関係を築けないばかりか、
仕事に支障をきたすトラブルが起きることはどんな頭の悪い人間でも予想できる。
講談社でいいからは、むしろ最大の譲歩であるのに、なぜそれがわからないのか?
言葉というものを理解するなら、冷静になってよく考えてほしい。
当たり前のことしか言ってない。
まあ、こういう言葉を尽くしても、ほのめかしという大犯罪はずっと解決しないままであったけれど。
一言で言うなら罪を自覚してほしい。
それが一番の問題だと思う。
サイコパスは罪悪感を感じないらしいけれども。