また権力の抑圧によっていつ消されるかわからないネットの文章

 また権力の抑圧によって、あるいは不正アクセスによって、いつ消さるかわからないネットの文章を書くのは、単にアウトプットによるストレスの解消が目的でしかない。

 筆者がよく見ているのは、まとめサイトで、長くこれを観察しているが、内容の質というのはあまり変わらない。

 誰かが掲示板でスレッドを作り、それをまとめサイト上で再度取り上げると、金がもらえる仕組みらしい。

 別々のまとめサイトで同じ記事が取り上げられるのはおそらくそうした仕組みのせいだろう。あるいは一つの法人が複数のまとめサイトを運営しているせいもあると思う。

 しかしこうした仕組みは世論操作にはぴったりであって、掲示板からの抽出だから、それがあたかも、名もなき市民の声だと思わせることができる。

 が、実際は違う。まとめサイトの内容は都合よく抽出されたレスポンスのみであって、その内容は偏っている。

 昔は、「おまえら」という不思議な概念の呼びかけ? に見られるように、インターネットの世界にはある種の一体感があった。

ある種の共同体じみた、ヌクモリティとかなんだとかいう変なやさしさと、嘘を嘘と見破れない人は……という言説にみられるような、妙な厳しさと、そういうある種のサバイバル感というのがあったが、時代は進んで、様々な事件が起き、インターネットが、オタク文化がマスコミに取り上げられ、動画サイトの勃興、SNSがやってきて、その間に、古き一部のネットユーザーは、もののけ姫猩猩たちに似た気持ちにもなった。

 おかしな変な、気味の悪いのがインターネットのあちこちに入り込んで、さらには深々と根を張った。

 政治屋と宣伝屋、商売人である。これにはタレント、芸能関係なども含まれる。

 上のやつらは権力と近しい関係にあって、さらにはそれまでのインターネット文化に対して、都合の悪いところがあった。

 インターネットは現実世界よりも言論の自由表現の自由の幅、スケールが大きかった。これは当然で、現実世界には利害関係があるが、インターネットには、特に匿名のインターネットには利害関係などなく、相手がどれほど社会的地位のある人間でも、同じ匿名のフラット関係、ある種の平等な関係性の中では、気兼ねなく、論理のみをその判定基準として、論争ができた。

 これはある種の理想的な自由と平等の形であったが、これについて、上記の現実世界からの侵略者たちは都合が悪かった。なぜか? 彼らが欲するのは、テレビのような、一方的な、一方向からの、問答無用の情報の流れであったから。

 簡単に言えば、ステルスマーケティングも含め、せっかく宣伝、広告した商品やサービスについて、文句を言われたくなかった。批判をされたくなかった。

 これが政治となると、もうカルト宗教的な信奉者も巻き込んで、いや、政党によって組織化された集団も巻き込んで、個人の言論を潰しにくるのが普通になった。

 テレビ番組や芸能人の持ち上げ記事もそうである。

 テレビ的な、一方的な情報の流れの押し付けが、彼ら、つまり政治屋広告屋の望むものだったのである。

 そうして現状がどうかといえば、これはもう、彼らの思うとおりになっている。というか、テレビよりもひどい状況になっている。広告や、政治的世論操作に対する規制も特にないし、何か都合の悪いことを言う個人がいれば、集団の力で潰しに来る。

 これがインターネットの中で済まないと、現実に潰しに来る。

 その一つの手段がいわゆる集団ストーカーというやつである。ガスライティング、ほのめかしというやつである。

 ちなみにこの手法は、明治からある。

 夏目漱石吾輩は猫であるにも書かれている。