ついには意味不明な攻撃

またよくわからないことで、ハッキングを受けています。

今日の昼頃から、また勝手にデバイスの音量が上がったり、下がったりしています。

暴行罪、傷害罪になりますよと、以前に警告しているのにも関わらずです。

こちらから何かした覚えは一切ありません。

急に向こう側からの攻撃が始まりました。

一体、何にキレたのかさえわかりません。

だからこちら側も意味がよくわかりません。

何がどうしたのか? としか考えられません。

端的に言うと、意味不明です。

5ちゃんねるを覗くと、やたら純文学スレと新潮新人賞スレが荒れていましたが、

ここ最近は書き込んだ覚えがありません。

一人変な人が自作を紹介していましたが、もちろん僕の作品ではないし、全然知りません。

ついこないだ決まった新潮新人賞の人の作品も読んでないのでよく知りません。

だから言及することも特に思い付きません。

 

 

さて誰がこの件の罰を受けるのでしょうか?

 

 

 

創造的十年説

宮崎駿氏の創造的十年説などという話は信じてはいけない。

あんなものはかっこつけの嘘である。

葛飾北斎は若い頃から絵を描き始めて、七十を過ぎて神奈川沖浪裏を描いた。

世界に知られるグレートウェーブである。

そもそも創造的十年説とやらは、当の宮崎駿氏本人がその作品によって否定しているではないか。

ととろがピーク?

じゃあ、その後の名作の数々は何なのだ? という話になるではないか。

大体、作家なんてものは、自分も作家だからわかるが、溺れるものは藁をつかむ精神で、パッとひらめけば儲けもの、ひらめかないなら野垂れ死には芸人のサガだと、そうして何かないか、何かないかと、食い物を探し回る狼だか、猪みたいなものであるのは、これはもうわかりきったことなのである。

そうして苦し紛れでも脳味噌を回転させて、そうだ、この方向だ、ここであれを入れよう、これを入れよう、違う、違うそっちじゃない、と、なんとか形にして、これでどうにか世の中に出せるものになろうというのが、作家の偽らざる姿であるから、私は創造的十年説なんて信じない。

ただ今が創造的でありさえすれば、それが作家なのである。

 

という、かっこつけた話はさておき、どうしようもない時はどうしようもない。

しかし、どうしようもない時にどうしようもないのも、また自然である。

作家は神ではないのだから。

 

 

正直もう人生というものを見失っている。

正直もう人生というものを見失っている。

実力を示してもどうにもならない。

資本主義社会は得意なことでそれなりの技術を身につければ、金を稼げて生活していけるはずであったと思うが、まず職業につけない。

次に連絡が来るとしたら、3ヶ月後、あるいは4ヶ月後である。

僕はそれまで生きているのかわからない。

やるべきこともわからない。

人生というものにも、もう特に期待していない。

期待するような年齢でもなくなった。

生きている意味がない。

どうにも生きようという気にならない。

この世界というのがとてもつまらない。

そもそも集英社にはパクリ疑惑がある。

そもそも集英社にはパクリ疑惑がある。

それも二つ。いや三つ?

向こうも気づいているのか、誤魔化しだか何だか知らないが、

訳のわからない読みきり漫画を描いた。

内容は読んでないからよく知らないが、あまり気持ちの良いものでもないらしい。

 

正解するカドとやらも集英社であった。

ちゃんと見てないからこれもよく知らない。

作者が天才だとかなんだとか無理矢理な感じでもてはやされていたが、僕にはよくわからなかった。

そのあとの作品も中途半端にグロいサスペンス?みたいな感じらしいが、やっぱりよくわからなそうだった。

 

大体電通が暴走しているのはわかる。

ほのめかしを仕掛けた僕にそれなりの実力があったから、見る目がないと思われるのが怖いのだ。

そうして業界に大迷惑をかけて、損失まで出したとすると、これはもう取り返しのつかない大失敗である。

 

けれどもそんなこと僕は知ったこっちゃない。

ちゃんと社会的に、まともな所とはWINWINの関係を築こうとしている。

しかしそれがまた、電通には気に入らないらしい。

 

けれども僕には僕の評価がある。

電通とは仕事をしたくないというレベルだし。

集英社もあまり良いイメージではない。

 

 

 

 

アニゲー速報におけるほのめかしのせいでNHKはもう終わったらしい。

アニゲー速報速報におけるほのめかしのせいでNHKはもう終わったらしい。

前から危ないとは思っていたけど、ついにNHKは駄目になったらしい。

水木しげるの特別番組の件もあったし、オダギリジョーの犬のドラマの件もあったし、NHKはもう駄目らしい。

ここにきて何をしているのかと。

この段階にきて何をしているのかと。

新しく送った思想小説を取りに来るのかと思ったが、そうでもないらしい。

 

集英社付きの電通が暴走したという見方もできるが、過去の積み重ねから考えるとNHKも切りたがっていた雰囲気もある。

 

NHKNHKで公共放送という既得権益だから、ある種のJAL日本航空的な意識があるのだろう。

何がどうなっても国がNHKを守るという。

実際、裁判でも契約の自由が否定されるという結果が出ている。

当たり前の自由、基本的人権も飛び越えて、NHKは国家によって守られているのである。

それこそがNHKのある種の反ハングリー精神的なものの原因だろうと思われる。

 

多様性の時代になって、紅白が無くなるかもしれないと言われると、さすがに社内がざわついたようであるが、それも案外すんなりと受け入れてしまいそうな予感もする。

 

集英社についてはもう近づきたくない。

きめつのやいば?とやらではでは、作品内で御神体(岩)を意味もなく切っている。

作品は必ず編集者のチェックが入るはずで、これは漫画家だけの責任ではない。

おそらく相当な高学歴の、競争率の高い就活を乗り越えた優秀な人材だけが、人気の職種である集英社の編集者になれるはずだが、

その非常に優秀な人材のはずの編集者が、きめつのやいばの作品内で御神体を意味もなく切るというシーンに疑問を抱かず見逃している、

というか、許可している。

普通は「このシーン何なの? 意味もなく宗教的な物を傷つけるのって倫理的にどうなの? あるいは何も考えていないと受け取られるのでは?」と疑問を抱くはずであるが、

きめつのやいば内では、修行の一環としてはっきりと御神体を切っている。

ここからわかるのは、集英社の創作に対する姿勢だ。

作品を作品として見ていない。

創作物を創作物として見ていない。

単にコンテンツとして見ている。

売れればそれでいいとしか考えていない。

そうした姿勢から意味もなく御神体を切るシーンが生み出されたと思えば納得できる。

 

別の意味であったら、それはそれでまた面倒臭い。

ある種の反日的な思想から、御神体を切らせたのだとしたら、それもそれで歪んだ考え方である。

信仰と政治や国家は完全には一致しないどころか、政教分離の大原則がまずある。

どっちにしろ、考えが及んでいないという他ない。

 

そしてそのような姿勢の集英社はある種の化け物じみて見える。

作品をコンテンツとしか考えずに、次から次へ、一口かじっては吐き出し、一口かじっては吐き出し、その中の一つか二つたまたま当たればいい。

そうして生み出されるのは大量の創作の残骸ではないか。

けれども作者は無論、創作の残骸を作るために、創作物を作っているのではない。

 

その姿はある種呪われているとさえ思う。

それはどこか、大量生産、大量消費社会となってしまった今の資本主義的な呪いに似ているように見える。

 

電通NGで。